語りたがり女が語る、少年忍者22人

オタク女が少年忍者のメンバー個人への印象を語る連載

『北川拓実』痛みを撫でる春風

吉祥寺で『火の顔』を見てから、もう二度目の春を迎えるのかと思うと、月日の速さを感じます。


『火の顔』初演時、あの日は、少し強めの春の風に押されながら吉祥寺シアターまで向かった。

私はまだ少年忍者を好きになったばかりで、おそらくこの観劇が少年忍者担を自覚してからほぼ初めてみたいな現場だったと思います。

当時の私は所謂新規ハイというか、ほぼ自分の中のイメージの少年忍者、特に北川拓実くんをただただ可愛い、可愛い拓実くんを実際に見れるなんて嬉しいー!みたいな浅はかな気持ちで見に行った足取りの軽さを今でも覚えています。

『火の顔』のあらすじを知ってる方はお察しかと思いますが、あの演目は我々のキャパシティを遥かに超える、少々過激でなかなかセンセーショナルな内容と演出であり、観劇した人々の心を強くえぐったのではないでしょうか。もちろん、例外なく私もその痛みを負った者です。

とはいえ、私はその衝撃的な内容も然る事乍ら、そもそもの北川拓実くんの演技の上手さというか、あの”クルト”を演じる17歳の男の子のシンプルな器に驚いたのです。

あの”クルト”という少年を演じるに当たって、おそらく大抵の演者は役に負けてしまうというか、演者によってはのまれてしまうような、相当な深みを纏う役柄だったと思います。あの役を受け取る器は小さくても溢れてしまうし、大き過ぎてものまれてしまう。観劇中、『この子、こんな役やって大丈夫なの?』と、舞台が終わったカーテンコールで辛い顔をして現れる拓実くんを想像したら、私は結構苦しくなってしまった。それほど私はこの舞台を、様々な気持ちを混在させながら夢中で観ていた。

しかしその心配も杞憂でしかなく、演目を終えカーテンコールに現れた”拓実くんのニコニコした笑顔”に、私は驚愕と無意識な安堵と、この子の役者としての底抜けな強かさを感じたのだった。

あんなにお芝居が上手いのに、役にのまれず、決して”クルト”に自分を明け渡さずとも、”クルト”を演じたのが北川拓実だった事実を深く深く我々の心に刻んだ。あの子の読めない強さと、17歳らしからぬ達者さに圧倒的されたのだ。

ほぼ放心状態のまま吉祥寺シアターを出た時、吹いていた春の風が”撫でる”というには少し強い力で先程負った痛みに触れた時、私はその暖かくも冷たくもない風を心地よいと思ったし、”私、拓実くんの演技が好きなんだな”と、渦巻いていたオタクの思考回路を落ち着かせてくれる風だと感じた。

 


”『火の顔』のクルトは、北川拓実だった”。その思い出を上書きしないのも、趣味に生きる私の責任のない選択なのかもしれない。そう思った、2023年の春なのだった。

『ヴァサイェガ渉』美しい蜃気楼(ミラージュ)

自担だからつい肩の力を入れて書いてしまいそうだったけど、突発的に浮かんだ感情こそこの子への気持ちなのだと思った。

私は、この子の笑顔が本当に好きだ。好きというか、この笑顔に救われ、拾われ、美しさの中に込められた愛おしさや強さに魅了されて、もう随分経つ。

けど私は、その現実に現れた芸術のようなルックスにばかり惹かれたわけでない。この子の、余計なことも苦労もこぼさず、なんなら思ったことも本音も言わないような確固たる”強さ”が、私の心を強烈に引き寄せているのだ。

私の大好きなこの子の笑顔の下には、きっと大勢の中の真ん中に立つゆえの計り知れない思いがあるはずなのに、決してそれを表に出さず、確固として私たちに幸せを運ぶ姿の、美しい強さに私は圧倒されることすらある。

その笑顔の下は幸せじゃないかも知れないのに、まるで幸せのような蜃気楼を見せて私たちを満たしてくれる。

意地として”アイドルのミラージュ”を崩さない、この子こそが私の自慢の自担なのだ。

きっとこの先もその笑顔の下で乗り越えなければならないことがたくさんあると思う。けど、決してその強さの蜃気楼を消さない限り、この子の抑えきれない輝きは絶え間ないことだろう。

決して強くはないけど、弱いわけではない。私が見てる美しい蜃気楼、それがアイドルの、確固たる姿なのだ。

『小田将聖』拝啓、小田将聖先生へ

ご無沙汰になってしまったこのブログですが、書かなかった言い訳として、単純にこの3ヶ月ほどオタクとしての激動が忙しなく、心も体もどことなく疲れてしまったところです。

人から見ても、自分が読み返しても、気持ちが明るくなるようなブログが書けたらいいのに。そう、あの”小田将聖先生”のように。


どんなに疲れた日でも、何ならちょっと具合が悪い時でも、小田将聖の『忍ばない忍者達の交換日記』が更新されたとなれば必ず読んで寝る。また鈴木悠仁担の友達(※彼女は後の鈴木悠仁編で大活躍の予定)と会った時も、互いの自担そっちのけで「将聖の日記見た!?」と2人でスマートフォンを覗いて日記の文章を音読したりと、小一時間は時間があっという間に過ぎるほど盛り上がったりする。私たちはそれほどまでに、最早文豪とも呼べる小田将聖”先生”の書く日記の大ファンなのだ。

時代が時代なら、あの文章力を持ってして、彼はあっという間にカリスマブロガーとして世を翻弄し、中川翔子らと共にブログ本なるものを出していただろう。ちなみにその中川翔子しょこたんが初めてブログ本を出版したのが2005年だそう。2006年生まれの小田将聖はまだ産まれていないという衝撃である。

どことなく、小田将聖がしたためる文章のテンションは、15.6年前のアメブロ全盛期を漂わせるものが強くあるように私は感じている。その当時は中高生が携帯電話(※当時はガラケーである)を持つことが当然という風潮が出てきた頃で、通話、メール以外にも「ブログ」や「前略プロフィール」などのコンテンツが流行り、まるで自分がタレントになったかのように、皆が活き活きと自分の趣味趣向や何気ない日常をインターネット上に残し心を満たしていた。まだ当時には『SNS』や『承認欲求』、『個人情報保護』などという言葉は今ほど付き纏うように蔓延ってはおらず、後にこれらが発展した事による、自分たちを発信することにしがらみを抱える時代が訪れるまでの、つかの間のインターネット自由期だったのかもしれない。

話は大幅に脱線したが、平成中期で青春を謳歌した女として、小田将聖の日記には何だかとても懐かしい心の高揚があり、読み終えたあとに笑い疲れてる私は、さながら箸が転がるだけでもおかしかった頃の、底抜けにシンプルな中高生時代に戻ったかのようだった。まさに、今の小田将聖と同じくらいの年頃である。

文章中のエベレスト級のテンションの高さの中に、しっかりとメンバーとのコミュニケーションを写真込みで記し、ちゃんと学業にも励んでいること、家族仲が良い事、自分がステージに立つことへの喜びと向上心を欠かさず報告する抜かりなさの隙間に、「って、おいおい!」などのセルフツッコミを挟んで私たちを和ませてくれる。そして定期的に愛しの田村海琉への愛を惜しみなくぶっ込む。小田将聖の日記には類を見ない個性があり、彼だけの貴重な強みだと思う。どうかこの先、急なイメージチェンジでクールなポーカーフェイスキャラになったとしても、この日記の基盤だけは変わらないで欲しい。私の月イチの楽しみなのだから。

敢えて日記の内容の細かい部分を解説することは控えたのだが、そろそろ皆さんも小田将聖の日記を見たくなった頃ではないでしょうか?

若干15歳にしてこの文章力と巧みなワードセンス、イケメンと写真を撮った時の謎のマウント感。毎月の日記を仕上げる為の日々のネタ集めや、日記にして恥ずかしくない正しいジャニーズ活動への取り組み、そして日記全体から伝わる育ちの良さと、読む人を楽しませたいという少年の心を、ぜひ読んで感じて頂きたい。ちなみに小田将聖の日記を読んだ日の夜は、とてもぐっすり眠れるのだ。

拝啓、小田将聖先生へ。楽しそうに日記を書いている姿を思い浮かべるだけで、こちらは笑顔になれます。私もそんな風に、これからこのブログを続けられますように。

『稲葉通陽』100点の才能に、120点の努力を重ねて

常々この子は只者で無いと感じていたが、決定的に稲葉通陽の才能に驚かされたのは、残暑厳しい9月の新橋演舞場にて行われた『少年たち』を見に行った際の事だった。


まず前置きに。少年忍者を好きになったばかりの頃に見始めたYouTubeなどの動画で、なんとなく「私は絶対この子を好きなる」と己の趣向の矛先が向いたのは、稲葉通陽だった。落ち着いた風貌に予想外の可愛い声も抜群にヒットしたのだが、何より私は彼から醸し出される”育ちの良さ”の虜になった。例えば私は、「ドアはきちんと閉める」だとか、「畳の縁は踏まない」みたいな事を心得てそうな子に弱い。恐らくだけど、稲葉通陽は絶対これらを両親、もちろんお馴染みの”おばあちゃま”から教わっているはず。私にはわかる。きちんとした暮らしの約束事が備わっている子は、身のこなしが静かで美しいのだ。彼の落ち着いた佇まいはここから来ているものなのだろうと、私は強く確信した。これから話す、彼のポテンシャルの根本なのだ。


冒頭の話に戻る。『少年たち』に看守役にて出演が決まった4人、通称・ほみゆゆを見届けるべく向かった新橋演舞場にて、私は稲葉通陽の底知れぬポテンシャルを目の当たりにする事となる。演技経験が少ないという前情報は何だったんだというほど、張りの質が凄まじく良い声が、新橋演舞場に響き渡っていた。セリフの言い方はもちろん、表情の作り方も上手かった。皆から恐れられる看守役の中で、彼の表情からは「この人…何を考えてるんだろう?」という心を読ませない凄みを感じた。観終わった帰り道は、「なんで通陽、あんなに上手いんだろう…」と若干の放心状態だった。後に、この「少年たち」という舞台が始まる前、ほんの少し演技のレッスンを受けたという情報を聞いたのと、程なくして始まった「フェアリーBOYS」という涙なくしては決して見れない大型企画での練習への姿勢とその成果を見て出た結論は、この子には学びの姿勢が備わっていて、”教わる技術”に長けているということだった。学ぶだったり、教わるという事にはとても集中力を用いるし、それを即座に結果に反映させるには余程の理解力が求められるはず。これらをこなす稲葉通陽に、私は直感的に”この子は頭が良いんだ”と思った。

よもや私が把握しきれないほど、稲葉通陽は数々の特技を持っている。楽器演奏(その種類は未知数)、アクロバット。また、この中にダンスや演技も追加されると私は確信している。彼の持つ特技の全てがアイドル活動に生かされるものであるし、何ならそのセンスの良さで、まだまだ増やせる特技は増やしていこうという気合いを彼から強く感じる。流行のものを身に着けるより、新しく出来ることを身に着けることへの関心の方が強いのかもしれない。

ここまで稲葉通陽のポテンシャルについて語ったが、もちろん私は彼の朗らかな笑顔がとても好きだ。まるで陽だまりに咲く花のような笑顔に癒されるのだが、花は根があり、決して枯れぬよう、腐らぬよう、私たちに見えないところでしっかりと根を張って咲いている。その花の在り方に、元ある100点の才能に120点の努力を重ねる彼の逞しさと通ずるものを感じるのだった。

『川﨑皇輝』あの夏のロミオへ

シェイクスピアが生んだ、世界一有名な恋愛戯曲『ロミオとジュリエット』。

我らが少年忍者の学級委員長こと、川﨑皇輝くんが恋愛ストーリーの舞台に主演、ましてあの有名な『ロミオとジュリエット』の”ロミオ”を演じると聞いて、私はとても心が高揚した。(そのジュリエット役が大好きなモーニング娘。の卒業メンバー・飯窪春菜ちゃんと来て、私はこんな幸せな事があるのかとひっくり返った)情報が徐々に公開され、かの有名な鴻上尚史さんが作・演出であり、ロミジュリをベースとした新解釈劇『ロミオとロザライン』の詳細が明らかになるにつれ、私はあるひとつのことに気付いた。鴻上さんの、ロザラインに対しての並々ならぬ思いだった。鴻上さんが過去に著した本の中に、『ロミオとジュリエット』について解説した文章があり、その話題を占めていたのは、ロザラインについてだった。鴻上さんにとって、ロザラインという女性はとても大切で、大事にしてきた、究極の存在なのでは無いかと私は思った。そしてそのロザラインにスポットを当てた舞台が実現し、ロザラインが愛するロミオを、我らが川﨑皇輝くんが演じるのだ。衝撃だった。目眩を起こしそうなほど、私はそのときめきに酔いしれたのだ。


私の周りの大抵のジャニオタは、『川﨑皇輝』と言う名前を知っていた。何なら『川﨑皇輝』と書いて”優等生”と読むかの如く、皆彼には良い子で真面目というイメージがあると言っていた。それは私たち少年忍者担の中にもある川﨑皇輝くんへのパブリックイメージであり、彼なら初主演舞台も立派に卒なくこなすだろ気持ちの元で舞台に足を運んでいた人は多いと思う。”18歳の男の子の初主演舞台”では無く、あくまで”川﨑皇輝くんの初主演舞台”という認識なのだ。無自覚の期待の中で、7月の新宿の劇場で『ロミオとロザライン』の幕が上がった。

 

そこには、プレッシャーをものともせず、好奇心に満ちたキラキラした瞳で堂々と舞台に立つ川﨑皇輝くんがいた。


私がときめきに酔いしれてずっと待ちわびていた『ロミオとロザライン』の幕が上がった。舞台に立つロミオは、背筋の伸びた立ち姿が美しく、盲目的で、熱くて、若くて、愛の前では従順だった。ロミオを、またロミオを演じる役者の北山を演じる川﨑皇輝くんを今でも覚えている。忘れられないほど、胸を焦がされたのだ。ロミオが求愛するヒロインにはジュリエットとロザラインがいて、舞台を見ている最中、私はロザラインに感情移入をしていた。ロザラインに自分の何かを重ねたというよりは、無意識に、自分にはジュリエット側になる人生は無いと思ったのだろう。ロザラインに自分の気持ちを乗せたまま迎えたラストに、私は涙が止まらなかった。とても辛かった。1度は自分に好意を向けていた、川﨑皇輝くんの姿をしたあのロミオが、北山くんが、別の女性と見つめ合って幕が降りてしまったことが。私はそれほどまでに、あの夏に見たロミオに胸を焦がして涙を流したのだ。


私は舞台期間中、なぜか松田聖子の『SWEET MEMORIES』を聞きながら劇場に向かっていた。たまたまその時の自分の中の流行りで聞いていたものの、今思えば、これほどあの舞台の思い出に合うBGMは無かった。『ロミオとロザライン』を思い出して、切なくなる気持ちは”なつかしい痛み”であり、うだるように暑かった7月の新宿に”時間だけ後戻り”する。川﨑皇輝くんの姿をしたロミオに、北山くんに恋をして失恋をしたあの夏は、私にとっての、”甘い記憶”なのだ。

『檜山光成』愛が育む、信じる瞳

私は、檜山光成が可愛くて仕方ない。絵に書いたような端正な顔も、思いっきり笑う顔も、浮世離れしたみたいに白い肌も、サラサラな髪も、その全てがもちろん愛らしい。けれど私は、檜山光成の”瞳”が好きだったりする。何かを信じるような、真っ直ぐに突き通った瞳が私の琴線に強く触れたのだ。


少年忍者のファンになった当初から、檜山光成のすぐ様真面目に最もな言葉を返す様子や、仲間内の冗談の中で「それは違う」と規律を正す姿が可愛過ぎることには気付いていた。私はそういう子が愛おしくて仕方ない病気なところがあるのだが、そこに加えて明るみになった、檜山光成の尊敬する先輩の1人に『川島如恵留』が上げられている事実により、この時既に1億まで上がっていた檜山光成の好感度が、一気に100億にまで到達したのだ。

私にとって川島如恵留とは、担当とか推しとか、ジャニーズとかそう言う概念を超えた特別な存在だ。私は彼を尊敬している。ここでは語り尽くせないほど、私は彼から人への慈愛や信仰する大切さを学んだと言っても過言ではない。そんな川島如恵留を尊敬する子がいて、その子は彼の片鱗を伺わせるように真っ直ぐな瞳をしている。私にとって、これほど嬉しいことは無かったのだ。

皆さんご存知の通り、川島如恵留の愛は大きい。時にその愛が大き過ぎて、受け皿を用意出来ていないと受け止めきれない時もある。しかし、檜山光成はその愛を余すことなく受け止め、ましてやその愛をとても素直に返すのだ。こんな喜ばしく美しい光景がこの世にあるなんて。私は2人が同じ画角に写った画像を、すぐさま額縁に額装したい気持ちでいっぱいだった。私は美しいものに目がないのだが、形状に限らず、目に見えない”関係性”や”繋がり”みたいなものももれなく対象となる。川島如恵留と檜山光成。私はこの2人に、とてつもない美徳関係を感じているのだ。


話は戻り、私は檜山光成の”瞳”‪がたまらなく好きだ。(※ここからは、その瞳に当てられた私の壮大な憶測であることを了承ください)

彼のその強い瞳からは、揺るぎなく多くの何かを信じているように見受けられた。私はその1つに、ファンへの確固たる思いを感じた。檜山光成は、何よりも自分を愛するファンのことを信じているのだ。信じる彼女たちの言葉から自分を見直し、奮い立たせ、励みとなり、きっと幾度となく助けられたのだろう。そして彼は、彼女たちが信じて止まない存在である”自分”、檜山光成、自分自身のことも強く信じているように私は感じた。美しい、信仰の連鎖だと思った。自分を持ち、信じて突き進む者ほど強いものは無いのだ。ここまで純粋に人を信じることは、到底後付けで成り立つものでは無いと思う。彼がよく話題に上げる、大切であたたかな自慢の家族と、その環境が純粋な彼の存在を形成させたのだと思うと、まさに檜山光成という存在は、愛が育んだ美しい子であって、なんて美事なのだと、私は強く心を打たれたのだった。


人はおろか、自分を信じることは、とても容易なことでは無い。だからこそ、自分を、人を信じる者の瞳が美しいことは至極当然なことであり、ステージに立つ彼が堂々としていて、美しく、人の心を動かすのは、彼の周りにある愛が育んだ成果だと私は信じている。その私たちを強く信じる彼の瞳は、笑顔は、本当に可愛くて愛おしいものなのだ。

『川﨑星輝』星を背負う

てんとう虫の星の模様を見て、私の好きな作家は『てんと虫よ星背負ふほどの罪はなに』という短歌を読んだ。てんとう虫の星が罪ならば、彼の背負う星は、一体何になるのだろうか。

 

ちょっとポエムチックな感じで始まってしまったけど、やはり”星”というのは昔から人を酔わせる中毒さがあると思う。川﨑”星”輝にもその節はある。何しろ私がその中毒性にずっぷりハマっている女の一人なのだから。十代の子の成長は本当にたけのこ並で、去年まで赤ちゃんだと思っていた子が、今や小さ過ぎる顔が浮かべるアンニュイな表情と、長過ぎる手足のバランスから少し危うい色気すら感じる。気づいたら綾野剛になっているのだから末恐ろしい。最早今の星輝くんは”ちょっと可愛い綾野剛”だし、綾野剛を見ると”ちょっと危うい川﨑星輝”だ。

 

2021年、帝国劇場にて行われたえび座を見に行った際、私の周りのえび担は皆星輝くんの事を予め知っていたが(※私は新参の少年忍者担でありつつ、かれこれ10年くらいえび担をやっている。戸塚祥太は、LOVEとLIKEを超えた究極の存在である)口を揃えて「星輝って何でも出来るんだね」と驚いていた顔をしていた。しかし、こちらにとって星輝くんが何でも出来ることは当たり前だったので、彼女たちのその言葉自体に私も驚いた。ダンス、演技、ピアノ、アクロバット、ローラースケート…書き出したら、確かに星輝くんはあの1つの舞台でこれだけの事をこなしていた。初めて川﨑星輝を認識する人達の前で、これだけの才能を惜しみなく披露していたのだ。


星輝くんは、多彩な人だった。自分の色を出したISLAND TVも更新してくれるし、webの日記もこちらへのサービス精神を大いに感じる。現場でも、メディアを通しても、ファンサービスに余念がない。奉仕の才能だ。一方で、私は9忍でいる時の『星輝先輩』に異常なほどときめいてるところがある。入所の順番がものを言うジャニーズ事務所の中で、『歴の長さ』という鎧を脱ぎ、後輩に視線を合わせ、皆を引っ張りつつ、1人先行く事の無い、9人の足並みを揃えて進もうという姿勢を感じる。新しいリーダー像の形、これも才能だと思う。


才能は、元々備わっているセンスに本人の努力が加算されて完成されるものだと思う。根底にある努力家の才能が、彼を輝かせる最大の武器なのだろう。そしてその輝きに当てられて、私は星を眺めるように心酔うのだ。


『てんと虫よ星背負ふほどの罪はなに』てんとう虫の星が罪ならば、彼の背負う星は、星の数ほどの輝く才能だろう。