語りたがり女が語る、少年忍者22人

オタク女が少年忍者のメンバー個人への印象を語る連載

『小田将聖』拝啓、小田将聖先生へ

ご無沙汰になってしまったこのブログですが、書かなかった言い訳として、単純にこの3ヶ月ほどオタクとしての激動が忙しなく、心も体もどことなく疲れてしまったところです。

人から見ても、自分が読み返しても、気持ちが明るくなるようなブログが書けたらいいのに。そう、あの”小田将聖先生”のように。


どんなに疲れた日でも、何ならちょっと具合が悪い時でも、小田将聖の『忍ばない忍者達の交換日記』が更新されたとなれば必ず読んで寝る。また鈴木悠仁担の友達(※彼女は後の鈴木悠仁編で大活躍の予定)と会った時も、互いの自担そっちのけで「将聖の日記見た!?」と2人でスマートフォンを覗いて日記の文章を音読したりと、小一時間は時間があっという間に過ぎるほど盛り上がったりする。私たちはそれほどまでに、最早文豪とも呼べる小田将聖”先生”の書く日記の大ファンなのだ。

時代が時代なら、あの文章力を持ってして、彼はあっという間にカリスマブロガーとして世を翻弄し、中川翔子らと共にブログ本なるものを出していただろう。ちなみにその中川翔子しょこたんが初めてブログ本を出版したのが2005年だそう。2006年生まれの小田将聖はまだ産まれていないという衝撃である。

どことなく、小田将聖がしたためる文章のテンションは、15.6年前のアメブロ全盛期を漂わせるものが強くあるように私は感じている。その当時は中高生が携帯電話(※当時はガラケーである)を持つことが当然という風潮が出てきた頃で、通話、メール以外にも「ブログ」や「前略プロフィール」などのコンテンツが流行り、まるで自分がタレントになったかのように、皆が活き活きと自分の趣味趣向や何気ない日常をインターネット上に残し心を満たしていた。まだ当時には『SNS』や『承認欲求』、『個人情報保護』などという言葉は今ほど付き纏うように蔓延ってはおらず、後にこれらが発展した事による、自分たちを発信することにしがらみを抱える時代が訪れるまでの、つかの間のインターネット自由期だったのかもしれない。

話は大幅に脱線したが、平成中期で青春を謳歌した女として、小田将聖の日記には何だかとても懐かしい心の高揚があり、読み終えたあとに笑い疲れてる私は、さながら箸が転がるだけでもおかしかった頃の、底抜けにシンプルな中高生時代に戻ったかのようだった。まさに、今の小田将聖と同じくらいの年頃である。

文章中のエベレスト級のテンションの高さの中に、しっかりとメンバーとのコミュニケーションを写真込みで記し、ちゃんと学業にも励んでいること、家族仲が良い事、自分がステージに立つことへの喜びと向上心を欠かさず報告する抜かりなさの隙間に、「って、おいおい!」などのセルフツッコミを挟んで私たちを和ませてくれる。そして定期的に愛しの田村海琉への愛を惜しみなくぶっ込む。小田将聖の日記には類を見ない個性があり、彼だけの貴重な強みだと思う。どうかこの先、急なイメージチェンジでクールなポーカーフェイスキャラになったとしても、この日記の基盤だけは変わらないで欲しい。私の月イチの楽しみなのだから。

敢えて日記の内容の細かい部分を解説することは控えたのだが、そろそろ皆さんも小田将聖の日記を見たくなった頃ではないでしょうか?

若干15歳にしてこの文章力と巧みなワードセンス、イケメンと写真を撮った時の謎のマウント感。毎月の日記を仕上げる為の日々のネタ集めや、日記にして恥ずかしくない正しいジャニーズ活動への取り組み、そして日記全体から伝わる育ちの良さと、読む人を楽しませたいという少年の心を、ぜひ読んで感じて頂きたい。ちなみに小田将聖の日記を読んだ日の夜は、とてもぐっすり眠れるのだ。

拝啓、小田将聖先生へ。楽しそうに日記を書いている姿を思い浮かべるだけで、こちらは笑顔になれます。私もそんな風に、これからこのブログを続けられますように。