語りたがり女が語る、少年忍者22人

オタク女が少年忍者のメンバー個人への印象を語る連載

『檜山光成』愛が育む、信じる瞳

私は、檜山光成が可愛くて仕方ない。絵に書いたような端正な顔も、思いっきり笑う顔も、浮世離れしたみたいに白い肌も、サラサラな髪も、その全てがもちろん愛らしい。けれど私は、檜山光成の”瞳”が好きだったりする。何かを信じるような、真っ直ぐに突き通った瞳が私の琴線に強く触れたのだ。


少年忍者のファンになった当初から、檜山光成のすぐ様真面目に最もな言葉を返す様子や、仲間内の冗談の中で「それは違う」と規律を正す姿が可愛過ぎることには気付いていた。私はそういう子が愛おしくて仕方ない病気なところがあるのだが、そこに加えて明るみになった、檜山光成の尊敬する先輩の1人に『川島如恵留』が上げられている事実により、この時既に1億まで上がっていた檜山光成の好感度が、一気に100億にまで到達したのだ。

私にとって川島如恵留とは、担当とか推しとか、ジャニーズとかそう言う概念を超えた特別な存在だ。私は彼を尊敬している。ここでは語り尽くせないほど、私は彼から人への慈愛や信仰する大切さを学んだと言っても過言ではない。そんな川島如恵留を尊敬する子がいて、その子は彼の片鱗を伺わせるように真っ直ぐな瞳をしている。私にとって、これほど嬉しいことは無かったのだ。

皆さんご存知の通り、川島如恵留の愛は大きい。時にその愛が大き過ぎて、受け皿を用意出来ていないと受け止めきれない時もある。しかし、檜山光成はその愛を余すことなく受け止め、ましてやその愛をとても素直に返すのだ。こんな喜ばしく美しい光景がこの世にあるなんて。私は2人が同じ画角に写った画像を、すぐさま額縁に額装したい気持ちでいっぱいだった。私は美しいものに目がないのだが、形状に限らず、目に見えない”関係性”や”繋がり”みたいなものももれなく対象となる。川島如恵留と檜山光成。私はこの2人に、とてつもない美徳関係を感じているのだ。


話は戻り、私は檜山光成の”瞳”‪がたまらなく好きだ。(※ここからは、その瞳に当てられた私の壮大な憶測であることを了承ください)

彼のその強い瞳からは、揺るぎなく多くの何かを信じているように見受けられた。私はその1つに、ファンへの確固たる思いを感じた。檜山光成は、何よりも自分を愛するファンのことを信じているのだ。信じる彼女たちの言葉から自分を見直し、奮い立たせ、励みとなり、きっと幾度となく助けられたのだろう。そして彼は、彼女たちが信じて止まない存在である”自分”、檜山光成、自分自身のことも強く信じているように私は感じた。美しい、信仰の連鎖だと思った。自分を持ち、信じて突き進む者ほど強いものは無いのだ。ここまで純粋に人を信じることは、到底後付けで成り立つものでは無いと思う。彼がよく話題に上げる、大切であたたかな自慢の家族と、その環境が純粋な彼の存在を形成させたのだと思うと、まさに檜山光成という存在は、愛が育んだ美しい子であって、なんて美事なのだと、私は強く心を打たれたのだった。


人はおろか、自分を信じることは、とても容易なことでは無い。だからこそ、自分を、人を信じる者の瞳が美しいことは至極当然なことであり、ステージに立つ彼が堂々としていて、美しく、人の心を動かすのは、彼の周りにある愛が育んだ成果だと私は信じている。その私たちを強く信じる彼の瞳は、笑顔は、本当に可愛くて愛おしいものなのだ。