語りたがり女が語る、少年忍者22人

オタク女が少年忍者のメンバー個人への印象を語る連載

『内村颯太』”優しさの定義”

ルックスの良さは然ることながら、私は内村颯太くんの”優しさの定義”に観点を置く事が多かった。


この子は”優しい子”だと思う。その”優しい子”の前置きに、「繊細」という言葉も必須で。私の勝手な憶測まみれではあるけど、内村くんは波風を立てることが苦手なのではと感じることがある。どこでそれを感じたかは覚えてないけど、誰かがネガティブな話題を出したとする。例えば食べ物でも、流行のものでも、「こんなの好きな人、いるのかな?」と誰かが内村くんに話題を振ったとしたら、彼は「わかんないけど、いるんじゃない?」とか、おそらくこういう返事をするのではないか。見えない誰かを否定しない、でも前置きで目の前にいる人を全面的に否定するわけでもない。加えて、自分の強い意志を示すものでもない。実は誰よりも他人ファーストなところがあるのではと感じている。

 

先日行ったぼくサバの実演でも、私は常々内村くんの気遣いに触れていた気がする。彼が率先して自分らしい言葉を発すると、周りは笑顔になる。場の空気に、躍動感が生まれる。ステージで自分たちのみで喋る、場を回すという役目を任されてどこか固くなる子は話題を得るし、おいおいとツッコミをすることで1つの起承転結が完了し、はたまた静かだった子は笑顔というアクションを起こす。

”人のために、自分を出す”。あの実演でのMCのテンポは、まさに内村くんの生んでいたものだった。それは本能で発揮するものなのか、はたまた潜在的な芸能人としての感の良さなのか。


”優しい”ということが仇となる時もあるこの芸能界で、内村くんはその個性を物の見事にプラスにしている。

優しさというのは難しいもので、強く出れば恩着せがましいと言われ、出さないなら出さないで白状だと言われる。内村くんの優しさが本能的なものであり、自然でさり気ないものであるほど、時として本人も自覚できないほど、負担を感じることがあるのでは無いかとふと思う。その悲しみが涙となって頬を流れるなら、澄んで清らかな涙の色は、まさに内村くん本人の人となりを表しているだろう。

 

彼の主演舞台のカーテンコール、通称「内村颯太ファンミーティング」で感じたのは、私たちの方が強いと思っていた内村くんへの愛が、実は彼からの振り撒かれる愛の方が強いのではないかということ。会場にいる彼女たちをもてなそうと手を振り、言葉をかけ、笑顔を浮かべる姿に、私はこちら側に向けられた惜しみない愛を感じた。

愛を与えることこそ、内村颯太を成立させる”優しさの定義”なのかもしれない。